東京高等裁判所 昭和41年(う)1702号・昭41年(う)1703号 判決
被告人 村山喜一 外一名
〔抄 録〕
被告人村山喜一のための控訴趣意第一について
同被告人に対する原判決を閲するに、原判決は、判示第一において同被告人が昭和四十年九月二十四日頃石川泰弘に対し男女性交等の場面を露骨に撮影した八ミリ映画フイルム二巻を販売した事実を、同第二において同被告人が昭和四十一年二月十二日頃販売の目的をもつて前同様の八ミリ映画フイルム十巻を所持した事実を、更に右二個の行為の中間において昭和四十年十月四日東京地方裁判所の言い渡した薬事法違反罪による懲役六月、四年間執行猶予の判決が同年十月十九日確定したことを夫々認定した上、判示第一及び第二の各所為は包括して刑法第百七十五条に該当する一罪であるが、包括一罪の場合であつても本件の如くその中間に確定裁判の存する場合には、右確定裁判のあつた時を境としてその前の罪と右確定裁判を経た罪とは刑法第四十五条後段の併合罪の関係にあるとして、判示第一の罪と同第二の罪とを各別に処断し、主文において二個の刑を言い渡していることは、所論のとおりである。よつて先ず、原判決が同被告人の原判示各所為を包括一罪と判断したことの当否について案ずるに、刑法第百七十五条にいう猥褻文書図画等の販売とは、これらの物の不特定又は多数人に対する有償譲渡を指称するのであるから、同条前段所定の販売罪は、右有償譲渡行為が多数回反覆されることを当然予定しているものと解すべく、亦同条後段所定の販売目的所持罪は、販売の準備行為を処罰の対象とするものであつて、同条の叙上法意にかんがみるときは、販売の目的をもつて猥褻文書図画等の所持を開始した者が、その一部を他に販売し、残部をなお手許に所持している場合には、既に販売した分について既往の販売目的所持の点が右販売行為に吸収されることは勿論、残部の販売目的所持の点も右販売行為と包括して同条前段及び後段に該当する包括一罪を構成するものと解するのが相当である。しかしながら、本件において被告人村山が販売の目的をもつて所持していた原判示第二の猥褻フイルム十巻は、原判示第一の猥褻フイルム二巻の販売当時から同被告人において所持していたものではなく、その所持が開始されたのは昭和四十一年二月八、九日頃であることが記録上明瞭であり、かくのごとく、販売行為後において更に販売目的をもつて所持を開始した場合にあつては、直ちに両者を包括一罪と認めることはできないのであつて、右所持が先の販売行為におけると同一の継続的な一個の販売意思に基づいて開始されたと認められるときに限り、はじめて右各行為を包括一罪と評価し得るのである。ところで、被告人村山の検察官に対する昭和四十一年二月十七日付、同月二十八日付各供述調書、八百板功益の検察官に対する同年三月三日付供述調書によれば、被告人村山は昭和四十一年二月八、九日頃、当時猥褻フイルムの売り捌きに従事していた八百板功益から、返品になつたフイルムの置き場所がなくて困つていると相談をもちかけられた結果、本件猥褻フイルム十巻を同被告人方に預かつたが、偶々金銭に窮していたため、これを誰かに売れば小遣銭稼ぎになると考え、ここに販売の目的を生じて茶封筒に一巻宛小分けして入れた上、これを所持したものであることが認められるのであり、右認定の同被告人が本件猥褻フイルムの販売目的をもつてする所持を開始するに至つた動機、原因、態様、その日時が原判示第一の販売行為から約四箇月半を経過した後であること、並びにその間同被告人において継続的に猥褻フイルムを入手し売り捌いていたと認めうる証跡が記録上見当らないこと等に徴すれば、右猥褻フイルム十巻の所持の際の販売意思は、従前の販売行為における販売意思と継続性、同一性を有するものとは解し難く、むしろこれとは全く別個に新たに生じたものと認定するのが相当である。してみれば、同被告人の原判示第一の所為と同第二の所為とは包括一罪の関係にあると認めることはできないのであつて、両者は併合罪の関係にあると解すべきである。原判決の判断は、当裁判所の叙上の見解と牴触する限度において失当たるを免れないのであるが、記録に徴すれば同被告人には原判示第一の罪と同第二の罪の中間において確定裁判を経た原判示薬事法違反罪の前科のあることが明白であり、原判決は前述のとおり原判示第一の罪と同第二の罪とを格別に処断し、主文において二個の刑を言い渡しているのであるから、その結論においては、右二個の所為を二罪と解した場合と全く異なるところがない。それゆえ、原判決の罪数認定に関する限りは判決に影響を及ぼさないことに帰着し、論旨は結局理由がない。
(坂間 栗田 近藤)